マスコミとカメラについて思うこと

謝罪会見とかを見てると、頭を下げたりとか汗を拭いたりとか、決まりきったところで一斉にフラッシュが焚かれます。
みんなで一斉に連続撮影モード。明るい話の会見ならいいのですが、そうじゃなくて会見人を吊るし上げるようなとき、特にすごいと感じます。「会見の内容」よりも「どういう紙面にするか」が先立っていることが丸わかりです。
見てる側としてもすごい嫌な気持ちになりますが、写される人はもっと腹立たしいでしょう。こんな状況で心から何かを言えるわけがないです。
だけど、謝罪するという立場だから


・「失礼だろう」と指摘する→「反省の色なし」と叩かれる
・むかつくので不機嫌に対応する→「反省の色なし」と叩かれる
・くやしくて思わず涙が出る→さらにフラッシュが焚かれるうえ、違う内容の涙と取られ、叩かれる
・上記のどれにもならないよう、心を閉ざし淡々と進める→「反省の色なし」と叩かれる


どうなっても叩かれるんですよね…。
あのフラッシュの嵐って、デジタルカメラが主流になってから激化したんでしょうか。
フィルムカメラのように、撮れる枚数が決まっていて、フィルム交換の必要があったときは連写は少なかったんでしょうか。


写真家の中村征夫さんが北海道南西沖地震のときちょうど奥尻島にいて、ほとんどのカメラが地震のせいで壊れてしまったそうです。唯一使えたのが使い捨てカメラで、換えのフィルムもなく、これほどシャッターを切る場面とタイミングについて考えたことがない、というくらい、被災地の写真を1枚1枚大事に撮影したそうです。
この話を中学生か高校生の頃に何かの本で読みました。そのとき撮られたという、途方に暮れた様子の犬の写真も強烈に覚えています。写真ってこういうものなんだ、写真家はすごいと思ったエピソードでした。


中村さんの話は「止むを得ず」という特殊な状況なのはわかります。
また、
・名前を出して作品として写真を公開する人
・無名で、写真の出来次第でお金が支払われる人
などなど、それぞれの立場によって、撮影の仕方は変わるものだとも思います。
でも、マスメディア業界に関わる者として他人にカメラを向けるなら、
もう少し「撮る」ということについて考えてほしいです。
うまくまとまらないけど、最近の謝罪会見や

  • :2008年6月8日千代田区外神田の中央通りで起きた事件について

http://ameblo.jp/momoi-ktkr/entry-10104915057.html


に書かれていた献花台での出来事を見て、本当に辛くてたまりません。
なんとかならないのかな…